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あるエクソシズムの時に対決した悪魔(堕天使)の告白 2017年3月2日 AM12:14

今のほとんどの人間は宇宙に関心が向いている。カトリックなどはどうでもいいと思っている。新たな興奮を加えた、不思議な、自分では体験していない、体験したことがない偉大なものを、そしてすぐに味わうことが出来ることに注目している。現実から目をそらさせて興奮状態を持続させたいと思っている。腹がよじれるくらい馬鹿なやつらだ。おかしくて仕方がない。宇宙から助けが来て、自分たち人間を救い出してくれるとか、広い宇宙のどこかに、知能が優れた生物がいるとか、何かめずらしいものがあると、すぐに地球外からのものに違いないと騒ぎ出す。理由がわからないものには、突然変異説を提唱し始めて片付けてしまう。たとえば、人魚のことについても、人間と魚がひとつになるようなことが、自然界ではありえないことが、冷静に考えてみれば、すぐにわかることだ。ただし、俺たちが手を加えると、そんなことは簡単なことなのだ。不思議なものを少しだけ、証拠として、わざと気が付くように残しておけば、だいたいの人間は、それを真実だと、本気で思い込む。俺たちが、でっちあげさえすれば何でも信じる。おかしくて仕方がない。悪魔と聞いても、はるか昔の考え方として片付けられている。何かの順序があって、理由があって、結果として不思議なものや出来事があったと、俺たち悪魔という悪知恵が働く者の存在を絶対に認めない。ごく一部の人間は、俺たちを信じている都合の良いやつらもいるが・・・。自分自身の身のまわりで、何かトラブルがあると、自分自身か周囲の人間が原因だと思わなければやってられなくなり、失望する。俺たちは、人間をだますことしか考えていない。大昔から、核心に触れたくないので、真実ではない他のものに寄りすがろうとする。みんな馬鹿だ。俺たちが、全部、ほとんとのことは作り上げる。それが簡単なのは、天使と同じことが出来るからだ。もとは天使だったからだ。ありもしないものを、そこに置くことができる。実際は、かき集めて作ったもの、何もなかった手のひらの中に、色々な物などを出すことなど簡単なことで、細胞レベルでかき集めて、何でも出来る。信じ込ませることなど簡単だ。逆に、そこにあったものを無くしたり、移動させることも出来る。皆、死んだらすべてがわかる。皆、後悔する。生き返って、生きている人間に教えようとしても、普通は生き返ることは許されない。上におられる方が許された時、その役割を果たすときだけ、特別に生きている人の前にあらわれる。あとは俺たちのでっちあげなのだ。U.F.Oを呼ぼうとして、皆で輪になって手をつなぐなんて、おかしくて仕方がない。超能力といった、そういうものは“超”能力なのではない。うまく俺たちに利用されているだけなのだ。腹がよじれるくらい笑えてきて、おかしくて仕方がない。ほんのごく一部ではあるが、上におられる方からの道具として、気付かないまま、正しいことをしているやつもいる。俺たちの力を借りてまで、見たり聞いたりしたいと思うやつらがたくさんいる。世界中で、すごいと言われる超能力者とか、霊能力者、マジシャンのほとんどは、俺たちのあやつり人形だ。だが、すべてではないということだけは、言っておく。俺たちの手が出せないように、天使に守られている者がいるからだ。大部分の超能力者や霊能力者といったやつらは、俺たちがだまし続ける。特に、生きている人間たちの間では、幽霊とかの話は、怖い話になっている。俺たちが、幽霊は得体の知れない危害を加えてくる怖いものだと、固定概念を植えつけた。上の方たちもとで、生きている人間に現わされる霊といわれるものの見え方は、怖いものには見えない。わざわざ暗い所や、汚れたところにはいない。明るい時間帯でも、煉獄やリンボの霊魂は、はっきりと現される。はっきりと違いがある。怖くない。少しおどろくだけだ。暗いところで、はっきりしないようなものから、はっきり見えても暗いところに居たり、姿が見えなくても、人々を興奮させて、怖がらせるものは、俺たちのでっちあげがほとんどだ。皆、興奮したいという欲求を満たすために、廃屋などの暗く汚れた場所へ行く。煉獄や上の方のいる場所からの霊魂の場合は、明るい時間帯でも、はっきりそうだとわかる。物かげに、かくれているようなことはない。特にお前たちのいる日本では、いろいろな宗教がはびこっている。本当におもしろいことになっている。少し前の時代ならば、堅い信仰を持った司祭によって、正しく聖変化された聖なる救い主の体がけんじしてあるところに行けば、だいたいのことは解決していた。ターゲットにしていた人間が、その場所に近づきすぎると、俺たちは悲鳴をあげて、逃げ去った。何らかの助けが必ずあったから、俺たちは逃げるしかなくなる。そこには、たくさんの天使たちが、俺たちが入って行くのを防いでいた。今は、入りたい放題だ。うれしくて仕方がない。全く良い方である、上におられる方に、今は、何も寄りすがらない、ただの集会所、かんじんなものがないのに、ランプだけがついている、それも端の方で、ついているのか、ついていないのか、わからない明るさで、俺が言いたい事は、聖体ランプのことだ。聖なるものがないのに、ランプだけがついている。無いところもある。それがこっけいで、のたうちまわって笑いころげたいほどだ。集会所へ来て、意味のない話をして、お茶を飲んで帰って行く。時には馬鹿さわぎをして・・。大混乱になっている世の中を見ていると、とても楽しい気分になる。少し前までは、そうごんな、ひれふさざるをえないところだったのに。今は、むしろ何も宗教を信じていないような人の方が、俺たちからだまされることは少ない。生きている時になら、何度もやりなおしが出来る。死んでからは、後もどりは出来ない。地獄に来るやつは、本当に歯ぎしりをするやつらが、本当に絶望をしている。死んだ時に、しまったと思う。生きている間に真実を知ることが、ほとんどなくなっている。正しく良いことを知る機会があっても、自分の自由意思で選んできたから、人のせいにはできない。それでも、人のせいにすることしかできなくて、失望と恨みを抱いて、おちてくる。ひとこと、すべてのことを知った時に、心からあやまればすむことなのに、あわれみが注がれていたのに。そういう意味で、聖職者たちは、平信徒や何も知らなかった人の、数倍の責任を問われる。それでも、ゆがめたのは、俺たちの成せる業、だまされた方が悪い。それでも希望を・・。言いたくはないけれども、希望を持ち続けていれば、必ず助けがある。人間が、もし動物を同じく、猿からの進化のなせる業で、今に至っているとしたら、わざわざ死んだ後に、霊魂を集めるようなところはいらない。死んでしまったら、霊魂も消えてなくなるから、聖書の話はおとぎ話であるということが本当であると、今はそう信じている人が多くなっているし、教会でも、本気でそのように教えている。俺たちにとっては拍手かっさいなことが、当然のように話されて、反論をすると、反論をした方が馬鹿者、気違い扱いにされる。人間が、さるから進化したものだったら、すべてつじつまが合わなくなる。生物学者たちは、必至に、さるから人間になった瞬間、今の人間という状態になった区切りの部分をさがしてきたが、見つかるわけがない。区切りの瞬間の証拠が見つからないので、その時に、何か大きな自然の動きがあったからと仮説を出して、言い張って、はっきりしたことは、わかっていないことにしている。もともとが違うのだから、見つかるわけがない。それでも探し続けている。馬鹿なことだ。
まだ、俺たちはましな方だと言っておく。縛りつけられて、おりの中から話している。まだ、素直に話しているが、本当は言いたくなかった。今の教会の実状と世界のこんとんとした状態は、俺たちの大勝利だ。天使だった時に、神に逆らう事を選んで、ミカエルにたたき落とされた。ルシファーと手を組んで、というよりは、むりやり従わさせられているところが多い。俺は、自分のことした考えていないけれども、逆らうとひどい目にあうので、仕方なく従って、人間たちを、めちゃくちゃな大混乱にさせる状況に動かしてきた。ほとんどのことは、俺たちがくわだててきたことだ。これから話すことも、少し前からのことになるが、天に、上におられる祝されたおとめのことをはいじょしてはいけなかった。今、まことの救い主も、ただの偉人伝の中だけの、過去にいた人物として、偉人伝の本だなに、仲良く並んで収められている。歴史上の人物となってしまっている。俺たちはとてもうれしい。とうの昔に、祝されたおとめの配偶者も忘れ去られている、こっけいで仕方がない。大成功だ。本当に、俺たちが歯ぎしりをするほど、あわれみだけの方から、人間たちの注目を反らすことが、俺たちの目的だったし、そうなっているので、そうできたことが、とてもうれしい。うれしいことに、悪魔の仕業だと思っていない。初めに、俺たちが否定させる方向へ持って行ったけれども、あとは、何もしなくても否定してくれている。聖職者たちが、自分たちで、俺たちの存在を、熱心に否定してくれている。俺たちが仕組んだ、一人の人間を、いともたやすく、教祖と崇めて、人々が集まってくる。静かに祈りをすべきところでも、今はダンスパーティーで盛り上がっている。静かに祈ろうとする人間は、ほとんどいない。おかしくて腹がよじれる。死んだあと、どうなるかも、正しく知ろうとしないままで・・。十字架にしろ、祝されたおとめのために祈る、バラのかんむりの形をした道具にしろ、すべて自分がかっこいいとみられるために身につけるアクセサリーになっている。祝されたおとめの名前を、人前で口にすると、軽く笑われて、逆にけいべつされる。人間は、平気で祝されたおとめのことを、けいべつする言葉を話すが、俺たちは、決して口には出せない。口に出そうとすることは、おそろしい。さからうことなく、従っていられたのならと思うことしかできない。今、こうして言わされているけれども、こいつのような者しか(マリア・アントニア)聞こうとしない、聞く気がない。皆、かんじんな時になると、自分のことしか考えないから、祝された天におられるおとめからの語りかけも、しばらくすると、なくなってしまう。人生の中では、本人が気付かないような小さな出来事のうちから、大きな出来事までのあらゆる時に、良いすすめがあって、自分で選ぶ機会が与えられる。俺たちによって、間違った選びを、あっけなく、平気でしてしまう。俺たちにはうれしいことだ。本人が、俺たち自身だったら、間違えることはなかった。実に、もったいないことだ・・。一度を除いては・・。くり返すが、死んでから、普通の人間は、すべてがはっきり知らされる。それでも、心から痛悔して、あやまれば、ただ一言、あやまれば、あわれんでくださいと言うことが出来さえすれば、永遠に歯ぎしりをし続けるようなことにはならない。俺は、すべて話した。俺の話すべきことは、すべて話した。


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平成天皇と皇后陛下は、これから先、中国の日本侵略に対して成すべきことがあります。それは、汚れなき聖母の御心に日本を奉献し、日の丸の旗に十字架をあしらって欲しいのです。そうするならば、天が助け手を送り、中国からの侵略を免れさせてあげます。平成天皇は、聖母が望む事を行なっていただきたい、そう聖母は願います

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